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第15回「北畠サロン」文化講座が開催されました。広報委員会

[ 2018-01-30 ]

平成30年1月27日(土)14時から北畠会館1Fホールにおいて、第15回「北畠サロン」文化講座が開催されました。
講師に、西岡 里子氏(高6期)をお迎えし「ブータンと50年」と題してご講演いただきました。


 西岡里子氏のプロフィールから──
住𠮷高校では硬式テニス部に所属され、関西ジュニア大会で優勝されるほどご活躍されました<公益財団法人 日本テニス協会 過去の全日本ランキングより:1953年(昭和28年)18歳以下女子シングルス4位>。高校をご卒業後は神戸女学院大学英文科で学ばれます。大学ご卒業後、1961年(昭和36年)に植物学者の西岡京治氏とご結婚。翌1962年(昭和37年)に大阪府立大学 東北ネパール学術調査隊に参加されます。1964年(昭和39年)から11年間にわたり、海外技術協力事業団(現 国際協力機構)の農業指導者として赴任する夫とともにブータンへ。帰国されてからは、1981年(昭和56年)に開催の神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア’81)のブータン王国館代表や、1982年(昭和57年)の神戸貿易促進センターでのブータン王国展を手掛けられ、その後もブータンの紹介を続けておられます。

 夫 西岡京治氏プロフィール:1933年(昭和8年)生まれ。1958年(昭和33年)大阪市立大学西北ネパール学術調査隊に参加。1962年(昭和37年)に大阪府立大学 東北ネパール学術調査隊に副隊長として参加。1964年(昭和39年)に海外技術協力事業団(現 国際協力機構)の農業指導者としてブータンへ赴任。ブータンの農業発展に尽くされる。1980年(昭和55年)にはブータン国王より「最高の人」という意味のブータンで最も名誉ある称号「ダショー」を授かる。1992年(平成4年)に28年間赴任の地であるブータンで死去。ブータンで国葬が執り行われた。



●大阪府立大学東北ネパール調査隊についてネパールへ、そしてブータンへ

結婚した翌年の1962年、夫とネパール奥地のチベット人村で7カ月を過ごしました。そして、日本が東京オリンピック開催を控えた1964年の春、長い鎖国状態を終える直前のブータンへ農業、園芸技術指導者として2年間の予定で赴任する夫に同行しました。初めから夫人同伴という例はあまりないと、海外技術協力事業団の方に言われましたが、他国に二年間住みついて仕事をするのだから、子どものことなどの問題がなければ、大変な時期である最初こそ夫婦二人で協力すべきではないかとの考えでした。

当時ブータンへは、羽田からインドのニューデリー経由でカルカッタ(現コルカタ)へ行き、紅茶の産地であるインド・ブータン国境地域へ物資を運ぶ人間が乗るときだけ人数分の席を付ける飛行機でブータン国境手前のハシマラ空港へ。迎えのジープに乗りお茶園の中を走りブータンの入口の街プンツォリンに入りました。翌日途中何か所もがけ崩れをおこしている完成間もない道を15時間かけて任地である標高2,200mのパロに着きました。

当時ブータンには銀行はなく日本からのお金は受け取れませんでした。ブータン国内は物々交換でお金は殆ど使えず、パロではお米(貯蔵した籾)でほしいものと交換していました。食料を売る市場もなく当初の2年ほどはとても大変でした。

帰国後に主人をテーマにした番組のために取材に訪れるテレビ局の若い方に「行かれた当時は大変だったでしょう」とよく聞かれるのですが、結婚した1961年(昭和36年)頃の生活は、日本もまだ貧しく、私達はお風呂もない三畳と四畳半の家で暮らしていましたし、新幹線も高速道路もまだない時代でしたので、ブータンでの生活は楽しく大変だとはあまり思いませんでした。

4年後に、オリンピック後の日本に帰国した時、日本がすごく変わっていて驚きました。ブータンへ出発した頃は、私の中では「終戦直後」のような感覚だったのでしょうか。そう思うと50年前のブータンは昔の日本の生活習慣など似たところが多くあったと思います。

そこで、NHKが訳50年前にブータンを取材した(テレビの取材としては世界で初めて入国を許された)ドキュメンタリー番組を観ていただき、その後私が撮った今のブータンの写真を観て、日本の原風景や50年の時の流れを感じ取っていただければと思います。

●NHK『小さな国々 第5集 ヒマラヤの秘境〜ブータン〜』(1967年放送)より

ブータン人は、顔つきや民族衣装が日本に似ていて、礼儀正しい国民性がうかがえる。パロ(首都はティンプー)は標高2、200mにあり、その中心に位置する白い建物“ゾン”(城/県庁兼寺院)は、造りや装飾はラマ教の国らしい独特の雰囲気を持っていて、政治・宗教のうえでブータンの中心になっている。ゾンで開催の国会は、国王から任命された役人、ラマ僧の代表、ブータン各地の村の代表の130人の議員で構成されている。ブータンはインドから援助を受けておりインド人がブータン政府の役所で顧問として働いている。インドは、ブータンの軍事と外交を代行する代わりに、年に10億円以上(当時)の援助を与えている。ゾンのすぐ下にある金閣寺を思わせる美しい建物は、ワンチュク国王一家のパロの離宮。ワンチュク王家は、20世紀のはじめに世襲のブータン国王となり、三代目のジグミ・ドルジ・ワンチュク国王(当時)は、奴隷・カースト制を廃止し、国の近代化に努め国民の尊敬を集めている。王妃は10年ほど前に日本を訪れたことがあり、日本に対してとても良い印象を持たれているそうだ。

国民のほとんどが農業に従事しており、2,000〜3,000mの高原地帯でありながらヒマラヤの豊かな水と乾燥した空気のお陰で稲は平地のインドよりよく育つ。収穫時は隣近所寄り集まって共同で作業し、お昼は皆で食事をする。ブータンでは赤米が食べられ、おかずに唐辛子がよく食べられる。牛やヤクの肉や、その乳から作られるバターやチーズも好まれる。食後はお茶を飲み、日本の農村を思わせる田園風景と同じである。

ブータンの国土は九州くらいの面積に、人口は70万人あまり(当時)。家々は谷間の斜面に点在し、2階または3階建てで、石を積み上げた土台の上にがっしりと建てられている。  盆地に住む人のほとんどは米作農業だが、北部の山中ではヤクの放牧を、南部の密林では木こりを生業にする人もいて、数百年前からほとんど変わらない生活を送っている。

パロ谷の中心部に市場があり、ブータン第一の輸送機関のラバが品物を運んでくる。今でも条件次第では物々交換に応じてくれるが、5年前(1962年)にインドからパロまで自動車道路が通じてから、大変な貴重品であった砂糖も次第に出回り、商人という新しい階級も生まれようとしている。バザールにも次第に“現代”が運び込まれたようである。

ブータンの国技は弓。弓矢は竹製で、かつて外敵と戦った武器である。祭りや祝い事のたびに弓の試合が開かれ、的までは約130mです。農閑期には村々で豚などを賞品に1週間〜10日も続けられる。
ブータンの北の険しい山を越えると同じラマ教の国で昔から古い繋がりを持つチベットがあり、かつてはブータンから米を運び、チベットからは塩や羊毛を持ち帰ってきたのだが、チベットが中国の支配下に入って以来、交流は閉ざされたままである。この秘境にも中印国境紛争が色濃く影を落としている。ブータン国内にもチベット難民の部落ができ、ブータン政府は難民に土地を与えている。難民は今でも増え続けている(当時)。

パロでは、現在飛行場の建設が行われており、建設工事を進めているのはインド政府で、作業をしているのは一家をあげて出稼ぎに来ているネパール人。中印国境を守る軍事上の目的から、飛行場建設を計画。かつてインドからパロまでは、ラバと徒歩で10日かかったが、5年前にできた自動車道路はそれを10時間に短縮し、飛行場は20分に縮めようとしている。鎖国に近い政策をとってきたブータンは自国の文化が消えてしまうことを恐れているが、国際社会の中へ押し出されようとしていることは否めない。

ブータンは自ら近代化への姿勢も示し始めている。5年前(1962年)にアジアの国々と開発を助けるためのコロンボ計画に加盟。それにより、日本人の西岡京治さん夫妻はブータンの農業指導をするため招かれ、ブータンの青年たちと3年がかりで山を切り開いた60ヘクタールの農場を作り上げ、みごとな実りを見せている。米作一本だったものから米の品種改良と裏作として大根・ピーマン・ハクサイ・キャベツなどの野菜の栽培に力を入れている。これは、ブータンには外貨を稼ぐ産業がないことが外国への依存度を強める結果となり、作った野菜をインドへ輸出することが経済発展への一番の近道だとの西岡さんの考えである。そして、西岡夫妻は王妃のよき話し相手でもある。

ブータンには100以上の小学校があるが、まだ設備は整っていない。(取材した学校は)数少ない施設の整った学校で、校長先生はイギリス人。国語であるゾンカ語(ブータン語:チベット語に似ている)をはじめ、英語の授業も行われている。文盲がほとんどというブータンで子どもたちの教育は始まったばかりだが、明日のブータンを担う大きな力となるのである。

パロから東へおよそ50厠イ譴燭箸海蹐砲△詼寨茲亮鹽團謄ンプー(標高2,300m)では、巨大なゾンが完成しようとしている。3年前から本格的な首都改造工事が行われている。ブータンの伝統工芸の技術はそのまま活かされているのは、近代化を進めながらも固有の文化を活かしていこうという国王の考えから。“首都建設は国民みんなの手で”という方針から、一家族から一名が3カ月の勤労奉仕を行っている。

長い間、外からの風を拒んできたヒマラヤの秘境ブータンも、今、新しい時代にさしかかろうとしている。

●最近のブータン〔西岡里子氏撮影のスライドを上映しながら〕
11月頃の標高4,000m近くの紅葉<日本とは少し趣きが違う>/秋に花が咲くヒマラヤ桜<四季があり関西と似ている。ブータンの首都ティンプー及び中心となるのは標高2,000m〜2,800mで3〜4月はサクラソウ、シャクナゲなど自然の花々が美しく、雨季があり、短い秋から冬になる。国土は九州ほどの面積だが、南の亜熱帯(標高200m)から標高7000mの高山帯まで変化に富んでいる(5000mくらいまで人が住んでいる)>/道標代わりのチョルテン(仏塔)<旅行時によく横を通った>/数年前のティンプー<先ほどのNHKの映像と比べると住宅でびっしり。街も広がり、牛も歩いている高速道路もできた。私は、こういう風景は好きではないが周辺国との関係も考えると、いつまでもヒマラヤの秘境というわけにはいかず、このように発展していくことは必要ではないかと思う>/弓に興じる<ブータン男子たるもの弓ができなくてはいけない。最近は洋弓が流行っていて、こっそり自分の土地を売ってまで弓を買う人がいるほど>/学校<現在のブータンでは、50歳以下の人で英語のできない人はほとんどいない。学生は皆流ちょうに英語を話す>/子供たちの絵<ブータンらしいカラフルな色使でルンタ(5色[青・白・赤・緑・黄=仏教における、天・風・火・水・地]の祈りの旗)が描かれている。9歳児が描いた手信号で交通整理をする警官(ブータンには信号機は無く、唯一ティンプーにある信号)>/民族衣装キラの布を織っている人<織柄は各自の頭の中にあり、簡単な機織り機で織っていく>/サンデーマーケットで様々な野菜や果物が売られている<ブータン人の食事は唐辛子を野菜のように食べるので、専門店があるほど>/パロ国際空港のドゥルックエアー機<ブータン唯一の国際空港。ドゥルックとは雷竜の意で、ブータン人は自国をドゥク ユル(竜の国)という)>/台所<ブータンの食器類は漆器もあるが竹製品が多い。竹の種類も豊富>/…など

●ブータンの民族衣装




2011年に第5代ブータン国王ご夫妻が来日されたので、民族衣装をご覧になられた方も多いと思います。本日は、ブータンの民族衣装で女性用の“キラ”と男性用の“ゴ”を持ってきていますので、着つけたいと思います。

<女性> まず、前開きでボタンがなく、袖先が手先より10僂曚苗垢ぅΕンジュ(ブラウス)を着ます。そしてベッドカバーほどの大きさの手織りの一枚布(腰幅三枚を繋ぎ合わせたもの)のキラ(巻きロングワンピース)を左肩から巻き始め、コマ(銀細工のブローチのような留め具)で留めつつ襞を作り、形を整え身体に巻き付け、そのウエスト位置でケラ(帯)を巻きます。その上からテゴ(上着)をはおり、袖口をウォンジュの袖口とあわせて手が見えるくらいに折り返します。

<男性> まず、女性のウォンジュと同じで袖の長い、白くて丈の短いテゴ(シャツ)を着ます。日本の丹前に似たゴをはおり、着物のように前で合わせ、膝丈までたくし上げたら、ウエスト位置でケラ(帯)を巻きます。ゴの袖口とテゴの袖口をあわせて手が見えるくらいに折り返します(身分により折り返す長さが決まっています)。
鞄のようなものは持たず、携帯品はゴの懐に入れます。

ゾンなどに行く場合は“正装”で。男性はゴの上からカムニ(社会的地位により色が決まっている。一般人は白)という大判のスカーフを左肩からまとい、女性は「ラチュー」という紅い帯状のものをテゴの左肩に掛けます。そして、どんなに寒くても裸足です(現在は皆、靴を履いていますが…)。

●「幸せの国 ブータン」について

私は「幸せの国」という言葉が嫌いです。「GNH」とは第4代国王が言われた言葉ですが、日本が経済的に落ち込んだ時に流行った言葉なんですね。

私がブータンへ行ったとき第4代国王は8歳で、やんちゃな方でした。第3代国王が急死されて16歳で国王になられたのですが、20歳頃に外国人から「ブータンのGNP(国民総生産)は世界で一番低い」と言われ、勝気な国王は「GNPはいざ知らず、ブータンはGNH(国民総幸福量)はどの国にも負けない」と言われたのです。

ただ、生活が貧しい人も不満に思っている人もいるとは思いますが、仏教がしっかり根付いているので、「これでいいんだ」と思っている人もたくさんいらっしゃいます。

私は「幸福感」というのは、お金があるからとか健康だからというだけではなく、自分が「幸福」というものを作るものではないかと考えます。
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●執筆
『朝日百科 世界の食べもの』ヒマラヤ編「ブータン料理」の項(朝日新聞社)
『あるく みる きく142(ブータンの工芸品)』(日本観光文化研究所)
『ブータン神秘の王国』<写真担当 西岡京治氏>(学習研究社、NTT出版) ほか多数   
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途中、映像が流れないというハプニングがあったのですが、「これが近代化です」と笑いに変える、前向きで少々のことでは動じない大らかな西岡さんのお人柄が感じられました。最後に、ブータンは20進法で、チ(1)、ニ(2)、スム(3)、シ(4)、ンガ(5)、トウルック(6)、デュン(7)、ゲ(8)、グ(9)、チュタム(10)…と数え方を教えていただきました。

講演後はケーキとお茶で親睦を深めました。恒例となっている北畠サロンの最後に参加者で歌う“生徒歌”を、今回は西岡さんの同期でいらっしゃる栂井智勢子(旧姓 小谷)さんが作曲された“住高四季”(作詞:眉村 卓さん)を歌って散会となりました。
サロンにお見えだった栂井さんは、意外と簡単に曲ができたと話され、西岡さんに負けず劣らずの張りのあるお声とお元気なお姿が印象的でした。

次回は4月21日(土)、住高同窓会音楽家連盟会員によるサロンコンサート「春によせて」を開催いたします。北畠サロン初の音楽コンサートです!春のひとときを皆さまと楽しく過ごしたいと思いま
す。たくさんのご参加をお待ちしております。

※女性モデル:池田敏子同窓会副会長(高17期)
※男性モデル:杉本明貞さん(高15期)

記事  広報委員会 杉原元美(高36期)

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