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2019年08月28日(水) 投稿者: 移行用 管理者

『第19回「北畠サロン」文化講座が開催されました。広報委員会』

令和元年6月8日(土)13時から北畠会館1Fホールにおいて、第19回「北畠サロン」文化講座が開催されました。
今回は「『長恨歌』 -楊貴妃の魅力と魔力、'恨'は誰の'恨'か- 」と題し、岡山大学名誉教授、日本杜甫学会会長の下定雅弘氏(高17期)をお迎えして、ご講演いただきました。以下にその概要を記します。

「『長恨歌』 - 楊貴妃の魅力と魔力、'恨'は誰の'恨'か - 」
 『長恨歌』は、唐代中期の詩人 白居易(772年¬‐846年)によって作られた七言120句からなる長編の漢詩で、玄宗皇帝と楊貴妃の恋愛を綴っている。この『長恨歌』の主題をどう捉えるかは、大きく「諷諭(ふうゆ:それとなく遠回しに諭すこと)主題説」と「愛情主題説」に分かれる。中国では「諷諭主題説」が、日本では「愛情主題説」が主流を占めるのだが、ここ20~30年は中国でも「愛情主題説」が強力になってきている。
 『長恨歌』は愛情を主題とする作品なのだが、日本においても、その読み方はいろいろあった。玄宗と楊貴妃の相思相愛の歌だ、「長恨」(詩題)・「此恨」(結句)は二人の「恨」だ、いや楊貴妃の「恨」だ、玄宗も貴妃ももとは仙人だった等々。そこで、まず私の読み方を話した上で、他の説について検討することにする。
*資料として:白居易『長恨歌(金沢本)』『李夫人』『冬至夜懐湘霊』『潜別離』/ 陳鴻『長恨歌伝[部分](金澤本)』/日本に伝わる『長恨歌序(作者不詳)』/エディット・ピアフ『愛の讃歌(加藤登紀子訳)』

一、下定の読み方
前段【起句~73・74句】:玄宗が貴妃を見出し、貴妃を寵愛する歓楽の日々と、貴妃が亡くなり、玄宗が悲嘆にくれる様。
後段【75・76句~119・120句】:玄宗が方士(古代中国で、仙術[不老長生を唱え、そのための魔術的技法や薬方を使う]を行う者。道士)を派遣。仙界の貴妃の消息と真摯な愛を知る。貴妃との愛の日々が戻らぬ痛恨の情。
最後の二句「天長地久有時尽、此恨綿綿無絶期(天地は永久だといっても必ず尽きる時が来る、貴妃を思っての痛恨の情は永遠に尽きる時がない)」【119・120句】は、玄宗が方士から、貴妃に贈った装身具(釵[かんざし]と合[はこ]の片割れ)を見せられ、7月7日の夜に誓い合った二人だけが知る言葉「在天願作比翼鳥、在地願為連理枝(天上では翼を並べて飛ぶ鳥になり、地上では連なる枝になりましょう)」【117・118句】を聞かされたことにより、貴妃を失った痛恨が永遠に続くだろうとの玄宗の思いの表現(=「此恨」)である。同時にそれに深く共感する白居易自身の感嘆の表現である。よって『長恨歌』は、終始玄宗の貴妃への思いを主軸として展開している。

二、「此恨」の検討の前に
(1)相思相愛説の検討
『長恨歌』の主題が「相思相愛」だとする最大の根拠は、後段の、玄宗への貴妃の深い愛を示す言動描写である。しかし、仙界における貴妃の言動描写は28句【091~118句】と量的に見て少なすぎる。それは、「相思相愛」の悲恋の物語にするのではなく、玄宗の貴妃への尽きない愛と、二度と貴妃を取り戻せない痛恨を際立たせる役割を担っている。

(2)仙界譚の意義と役割
<主題との関連-1> 後段の仙界の場面が設定される理由は、前段最後の二句で明らかである。「悠悠生死別経年、魂魄不曾来入夢(生きているものと死んだものとは遥かに引き離されて年月が経ってゆく、貴妃の魂魄は夢にさえ現れたことがない)」【73・74句】は、貴妃とは幽冥境を異にしても、是が非でも会わねばすまないという玄宗の痛切な思いを表しており、この願いを実現するために仙界譚は設定された。これにより、貴妃への愛情がどれほど深いかが読者に伝わる。

<主題との関連-2> 前段の人間界では、玄宗の愛は天子の「好色」であり、貴妃も華麗で艶っぽく、色っぽいキャラクターとして描かれている【007/008/010/015/017/018句】。後段の仙界での貴妃のイメージは、やはり比類なく美しいのだが、前段のようなコケティッシュなものではなく、仙女の清らかな美しさで描かれている。前段では「芙蓉帳」【014句】に囲まれたベッドに横たわり、顔は「芙蓉」【060句】に喩えられているが、後段では、透き通った「雪膚」【088句】を持ち、白く清らかな「梨花」【100句】に喩えられている。このキャラクターとその愛の変化は、最高権力者の“好色と寵愛”から、一人の女をひたむきに愛する一人の男の“純愛”への変化を意味している。

<愛と死の文学> 以上のように見ると、『長恨歌』は「愛と死」の文学だといえる。貴妃は死んで仙女となり永遠の命を得る。その仙女となった貴妃を発見したのは玄宗の愛である。玄宗の愛は、貴妃の死によって浄化され深められた。二度と会うことのできない悲痛は、永遠の美しい愛に昇華する。玄宗とその愛は、玄宗のひたむきな愛に感銘する読者と後世の人の心に永遠に生き続ける。死にゆく玄宗の愛の対象を仙界の仙女とすることにより、「愛と死」の感動が二重三重に深まるように巧妙な仕掛けがなされている。
 
三、「此恨」─ 従来の説
「此恨」については、様々な議論がなされ研究者を悩ませてきた。
 吉川幸次郎先生[1904年-1980年、文化功労者。京都大学名誉教授]は「相思相愛説」。その後の二人がどうなったかは迷っているが、「此恨」は玄宗と貴妃の恨みだとしておられる。
「相思相愛説」の概ねは、「恨」は愛を遂げられなかった玄宗と貴妃の二人の悲哀だと見る[前野直彬:1920年-1998年、東京大学名誉教授/川合康三:1948年-、京都大学名誉教授 等]。
「天地は長い長い時間を存在しますが、それでも期間が尽きると消滅します。私と帝とが引き裂かれたうらみは、めんめんと続いて、終わる時がないのです」(入谷仙介『唐詩名作選』、日中出版、1983)[入谷仙介:1933年-2003年、島根大学名誉教授]と、結びの二句を貴妃の言葉とする説もある。
これらの説は、『長恨歌』の結句と「此恨」の意味を正しく捉えていない。「新楽府[しんがふ:中国古典詩の様式の一つ。特に白居易らが当時の世相を詠い、時代の弊を風刺した楽府]」の『李夫人』に見える「此恨」は、この問題の解決の重要な資料になる。

四、「此恨」は貴妃を失った玄宗の痛恨 -『李夫人』と『潜別離』を資料として-
(1)『李夫人』
『李夫人』も『長恨歌』も作品の主題は異なるが、登場人物も似ており、いずれも詩中に君主が愛する女を失った痛恨の情を詠じている。『長恨歌』との違いは、『李夫人』の序に「嬖惑(へいわく)に鑑みるなり(女色に溺れることを戒める)」とあり、鑑誡としての目的を達成するため、李夫人を愛してしまった天子の悲哀・苦痛・煩悶・徒労を執拗に表現している点にある。夫人を忘れることができず肖像画を描かせたが、表情も変えず話もしない李夫人に何の意味があるのかと、武帝になりかわって落胆と徒労感を表現【03~08句】。霊薬「反魂香」を作らせて夫人の魂を呼び戻すのだが、かえって深い悲しみと苦しみをもたらすだけ【09~24句】。このひどい辛さを味わったのは武帝だけではない、美女を愛してしまった天子(周の穆王や玄宗)はみな同じ辛さ・悲しみを味わっている【25~30句】等々。
「縦令妍姿艶質化為土、此恨長在無銷期(たとえ美しい姿は土となってしまっても、死んでしまった女を思っての深い悲しみは長しえに尽きることはない)」【31・32句】は、『長恨歌』の「天長地久有時尽、此恨綿綿無絶期」【119・120句】と下句はほぼ同じだが、上句は違う。『李夫人』では愛しても報われることのない虚しさを強調し、『長恨歌』では愛の真実と驚嘆すべき力を詠って正反対である。だが、天子が愛する女を失った痛恨を表す「此恨」の語の意味は同じである。『李夫人』は、美女を愛したら生きても惑い、死んでも惑って、辛く苦しいだけ、「人非木石皆有情、不如不遇傾城色人(男は木石でないのだから、「傾城」の美女には出会わないようにしましょう)」【35・36句】と述べて終わる。
『長恨歌』の貴妃は、「天に在りては此翼の鳥と為り、地に在りては連理の枝と成らん」【117・118句】と言っているのだから、その「愛」の希望をいう表現と、「恨」とが連なるわけがない。結びの二句「天長地久有時尽、此恨綿綿無絶期」【119・120句】は、貴妃とは別の人物(即ち玄宗)の語として白居易が深い詠嘆的共感を込めた二句だと見るべき。
白居易は、『長恨歌』で、美女を愛してしまった玄宗の、愛する女を失った痛恨を詠うことで愛の無限の力への感嘆を表現し、『李夫人』では、君王が美女を愛してしまえば、尽きることのない悲しみ苦しみに見舞われることになる愚かさを詠っている。愛する女に二度と会うことができない痛恨である「恨」の意味は同じ。『長恨歌』では感嘆の情を伴い、『李夫人』では嫌悪の情を伴っている。
“武帝の李夫人への思い”、“玄宗の楊貴妃への思い”、このほぼ同じ素材を“表”と“裏”から詠ったのが『李夫人』と『長恨歌』である。“表”とは、社会の規範・表現の規範。“裏”とは、規範からの逸脱。『長恨歌』は、元和元年(806年)に恋愛を詠うこと自体がまだ通常ではない時期に詠われた、規範からの逸脱の作である。その4~5年後、左拾遣(侍従の唐名)・翰林学士(官名。主として詔勅の起草を司った)の職にあって、諫官としての使命感に燃え、果敢に天子への諫言を行おうとしていた白居易が詠ったのが『李夫人』である。これは、天子に対して、規範からの逸脱を戒めたものである。

※中国文学における“規範”について:『詩経』大序(『詩経』全体についての解説) の中の一句、「変風発乎情、止乎礼義(変風は情に発するも、礼義に止まる)」が、中国知識人たちに決定的な影響を与えた。「変風」は『詩経』中の、世が乱れた時代の詩。これにより、詩の本質は、人間の素直な感情の発露であるのだが、必ず教化に益し、礼儀道徳に叛かない締めくくりでないといけないという考えが知識人たちの頭に刻印された。漢代以降、白居易の時代になるまで正統的な中国文学の世界から、恋愛は姿を消してしまうことになる。
※規範と規範からの逸脱:中国の知識人に「詩は情に発するも、礼義に止まる」の考えが根付いており、大昔から最近に至るまで『長恨歌』は、玄宗が貴妃に溺れて国政をないがしろにしたことを咎める作品だという見方が大勢を占めてきた。白居易の友人の陳鴻が書いた『長恨歌伝』は、玄宗を誘惑し籠絡した悪女の貴妃を咎める作品である。これが『長恨歌』の主題が玄宗批判であるとの説をさらに強めてきた。『長恨歌』は、玄宗の貴妃への愛を人間の真実と見て、地上では万能の皇帝でさえも、愛の虜となればこうなってしまうという、愛の驚くべき力への讃嘆を詠ったもの。白居易は長慶4年(824年)、自身の『白氏長慶集』を編むときに『長恨歌』と『長恨歌伝』をセットにしたのだが、『長恨歌』の前に『長恨歌伝』を置いた。『長恨歌伝』の主題は、社会の規範・表現の規範に即したもので“規範”を示している。天子たるものが女に溺れて国政をないがしろにするとは“逸脱”の最たるものである。白居易は『長恨歌伝』で逸脱はいけませんという規範尊重の態度を示した上で、『長恨歌』で思いきり逸脱して、人間の真実を示したのである。
※中国文学における表現の力学:中国文学においては、“規範と逸脱” あるいは“正統と異端”という相反するベクトルを操る表現の力学が、少なからぬ作品を成立させる原理となっている。これを知ると知らないとでは、中国文学を味わう上で、その正確さと深さに大きな違いが生ずる。

(2)『潜別離』
他にも、「此恨」を考えるヒントになる『潜別離』という作品がある。白居易には結婚前に湘霊という恋人がいたのだが、貞元16年(800年)、科挙受験のため都に赴く頃に別れたようだ。湘霊は、おそらく富裕な農家の娘で、官界に入ることを目指す白居易は身分の違いから別れるしかなかった。その時の別れの悲痛を詠ったものと思われる『潜別離』は、いくつかの箇所が『長恨歌』と似る。「両心之外無人知(二人の心以外には誰も知らない)」【3句】は『長恨歌』の「詞中有誓両心知(言葉の中には二人だけが知る誓いがある)」【114句】に似る。5句の「連理枝」は『長恨歌』の「在地願為連理枝(地上では連なる枝になりましょう)」【118句】に見える。「河水雖濁有清日、烏頭雖黑有白時(黄河の水は濁っているが、いつかは清らかになる日も来るだろう。烏の頭は黒いが、いつか白くなるときも来るだろう)」【6・7句】は『長恨歌』の「天長地久有時尽」【119句】と同じく、永遠不変に見えるものも変わる時があるの意。『長恨歌』の「此恨綿綿無絶期」【120句】は『潜別離』の「唯有潛離與暗別、彼此甘心無後期(人知れず別れた者だけは、互いをいつまでも思い続けながら、二度と会う時が無い定めに甘んじるしかないのだ)」【8・9句】と似る。
いつまでも別離の痛恨が続くという点で両者同じで、句作りも酷似する。ただ、『潜別離』が全編、二人の別離を二人が傷む「相思相愛」の表現にしているのは『長恨歌』とは違う。
白居易は、湘霊との別離を痛哭した『潜別離』の表現を、多くの原素材の一つとして心に秘めつつ『長恨歌』を作ったのだと想像する。

※エディット・ピアフ(1915-1963)の『愛の讃歌』は、『長恨歌』のテーマと同じである ─愛してしまえば、天も地も国家も世間の道徳も何もかもどうでもいい。ただあなただけが大切なのだ─ 白居易とピアフは、時空を超えて共鳴しあっている(越路吹雪が歌ったのは、岩谷時子の訳で、原詩とは異なる)。『愛の讃歌』が『長恨歌』と同じだと見れば、『長恨歌』の読みが確かなものになる。諷諭主題説を取る人が玄宗を批判している証拠に挙げる句が、それこそ“愛がすべて”の証しなのだ。「春宵苦短日高起、從此君王不早朝(春の夜の短いのを怨みつつ日が高くなってからベッドから起きあがる、それからは天子は早朝の謁見と政をやめてしまわれた)」【15・16句】、好きになったら政なんかやってられない。「姊妹弟兄皆列土、可憐光彩生門戸(姉妹兄弟もみな領地をいただいて、ああ一族はまばゆいばかりに光り輝いていた)」【23・24句】、好きになったらえこひいきなんか当たり前。世間の常識や道徳は、愛の前には全部吹っ飛ぶことを言うために、皇帝が主人公であることが効果的だと白居易は考えた。たとえ皇帝でも愛の情熱はコントロールできず、愛に人格のすべてをからめとられてしまうのを描くことで、愛が持つ驚くべき力を詠ったのである。それは同時に、愛の前では人間みな平等という宣言でもある。
『長恨歌』はまさに、人類の歴史に輝く不朽の名作、世界の古典なのである。

まとめに代えて
1.『長恨歌』は、愛の無限の力を讃えた歌。
2.結びの「此恨」は、玄宗の貴妃を失った痛恨。
この二点を様々な角度から述べた。
『長恨歌』については、永久に議論がつきないだろう。私の読み方も、『長恨歌』の読みを深めるための大河の一滴。読者諸賢の、少しでも参考になり(あるいは反撥し)、刺激になれば幸いである。


講演後はケーキとお茶で親睦を深め、“生徒歌”を歌って散会となりました。
次回の講演は10月5日(土)午後1時から、一般社団法人 日中協会 理事長の服部健治氏(高18期)による「台頭する大国 ─中国をもっと知ろう─」と題してお話しいただきます。たくさんのご参加をお待ちしております。
  

広報委員会
杉原元美(高36期)