事務局から

2019年05月08日(水) 投稿者: 移行用 管理者

『第18回「北畠サロン」文化講座が開催されました。広報委員会』

平成31年3月23日(土)13時から北畠会館1Fホールにおいて、第18回「北畠サロン」文化講座が開催されました。
今回は「なにわのスポーツ物語 -高校スポーツを中心に-」と題し、大阪産業大学スポーツ健康学部 教授 田中 譲氏(高21期)をお迎えして、ご講演いただきました。
 田中氏は、住吉高校時代は山岳部に所属され、1969年にご卒業、大阪教育大学に進学。1973年に中学校課程保健体育課をご卒業後、大阪府立東豊中高校で、1980年からは大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎で保健体育科の教諭、さらに、2006年からは教頭を勤められました。2008年に大阪産業大学に教授として転勤し、2012年に兵庫教育大学大学院にて博士号(学校教育学)を取得され、現在に至っておられます(4月1日から大阪成蹊大学に転勤)。著作物に、「なにわのスポーツ物語 –廃藩置県から140年-」(丸善出版)、「新・みんなの体操」(晃洋書房)等があります。
 

 「なにわのスポーツ物語」という本は、大阪体育学会という大学の先生が中心に構成されている学会が、今から8年前に50周年を迎えたのを機に、大阪は日本のスポーツの発祥の地でもあることをとまとめたものです。なかでも、高校スポーツは大阪から始まったといって過言ではありません。

今年(2019年)は「ラグビーワールドカップ」、来年(2020年)は「東京オリンピック、パラリンピック」、2021年は「関西ワールドマスターズゲームズ」と、世界的なイベントが日本で開催されます。ちなみに、「ワールドマスターズゲームズ」とは、中高年齢者のための世界規模の国際総合競技大会で、夏季大会はおおよそ4年ごとに開催され、年齢以外には参加資格は設けられておらず、誰でも参加できます。第1回は1985年にカナダのトロントで開催され、2010年より5年ごとに冬季大会も開催されています。スポーツではないですが2025年には大阪で万博も開催されます。
スポーツ大会で最大のものは、やはりオリンピックです。開催国を挙げてみましたら、1位 アメリカ(8回:夏4回/冬4回)、2位日本(6回:夏3回[1940年は戦争で中止]/冬3回)、3位 フランス(5回:夏2回/冬3回)、4位 ドイツ(4回:夏3回/冬1回)、5位 イタリア(3回:夏1回/冬2回)・カナダ(3回:夏1回/冬2回)となっており、日本以外は、アングロサクソンの国です。そもそも近代オリンピックはフランス人のクーベルタン男爵の提唱により始ったこともあるのですが、アジアで最初に開催されたのは日本です。幻の1940年大会の開催のため尽力したのが嘉納治五郎でした。アジア人では初のIOC委員でした。柔道の創設者でもあります。
柔道と言えば住吉高校にはマンさんこと中野 満先生がいらっしゃいましたが、実は日本拳法の創設者の一人で、阿倍野の自宅に洪游會道場を開設し、日本拳法の本部になっています。

さて、日本のスポーツは、阪神間で始まっているものが多いのです。マラソン、クロスカントリー、高校野球、高校サッカー、高校ラグビー、高校駅伝、高校テニス、大学相撲、バスケットボール、スキー、登山、海水浴、水連学校、近代水泳、これらすべて阪神間で始まっています。
ゴルフをされる方は多いと思いますが、日本で最初にできたゴルフ場は、六甲山カンツリークラブです。高校野球、高校サッカー、高校ラグビーは、現在はありませんが「豊中運動場」で、高校駅伝は「大阪市内」で、高校テニスは「堺・浜寺庭球コート」で始められました。では、それらをみていきましょう。

高校野球は、1915年(大正4年)に第1回大会が行われています。始球式は朝日新聞社の村山龍平社主が投げている写真が残っています。振りかぶって投げておらず、手と足が同時に出ており、野球経験があまりないことがわかります。逸話がありまして、東京朝日新聞は新渡戸稲造らが中心となって「野球害毒論(野球ばかりしていないで学生は勉強しなさい)」というキャンペーンをします。ところが、大阪朝日新聞は、これから高校野球をやるぞ!と色々なところで協力をお願いします。東京以外の道府県は地方予選会に参加しましたが、東京は害毒論で参加できず、代わりにNHKのテレビドラマ「いだてん」にも出てきた「天狗倶楽部」が協力しました。
この3年後(1918年/大正7年)に、フートボール大会が開催されます。ラグビーフットボールとアソシエーションフットボール(=サッカー)との共同開催のため、名称をフートボール(=フットボール)としました。現在、阪急豊中駅前には、高校野球と高校ラグビーの発祥の地の記念碑があります。残念ながら資金不足のため、アソシエーションフットボール(=サッカー)の碑はありません。(高校サッカーは、第55回大会(1976年)から東京の国立競技場で開催されます)
そもそも日本のサッカーはいつ始まったのか?日本サッカー協会によりますと、1873年に東京築地の海軍兵学寮で英海軍のダグラス少佐を中心とする軍事顧問団が紹介したとあります。しかしよく調べてみると、1871年(明治4年)神戸の居留地でフットボールをするから集まれという新聞記事がありました。このフットボールというのはラグビーなのかサッカーなのか不明なのですが、多分サッカーの方だったと私は考えます(確たる根拠はないのですが…)。当時は、ラ式蹴球(ラグビー式フットボー)、ア式蹴球(アソシエーション式フットボール)と言っていて、早稲田大学では現在でもラ式蹴球、ア式蹴球という名称を使っています。また、アソシエーションフットボールが「サッカー」となったのは、大阪の明星商業学校(現 大阪明星学園)の卒業生たちがアソシエーションフットボールの大会をサポートすることになったことがきっかけです。自分たちのグループによい名前をつけようとなり、アソシエーションフットボールのことが書かれた原著から「SOCCER(=アソシエーションフットボールをする人)」という単語を見つけ、日本で初めてこの言葉を使って「大阪サッカークラブ」を作りました。これをきっかけに、サッカーという言葉が広まっていったのです。
高校ラグビーはというと、東大阪の花園ラグビー場で大会が開かれるようになるのは1963年(昭和38年)からです。この花園ラグビー場建設に関わったのは、秩父宮殿下です。殿下が洋行されることになり、奈良の橿原神宮へ行かれることになりました。神宮へ向かう途中で、この辺りに今流行のラグビーをするグラウンドを作ってはどうかと言われたそうなのですが、言われた近鉄は、あまりに高額なので着手に逡巡したそうなのです。1年経って、殿下が帰朝報告のため橿原神宮へ来られた時に、「あの話はどうなった。」と聞かれたそうで、それで造ったのが花園ラグビー場だったのです。
高校アメリカンフットボールは、旧制池田中学(現 池田高校)と旧制豊中中学(現 豊中高校)が始まりです。1946年(昭和21年)、進駐軍によりアメリカンフットボール(当時はタッチフットボール)普及の先駆けとして両校が選ばれ、豊中高校には「高校アメフト発祥の地」の碑があります。
朝潮橋近くにある、現在の大阪プールのある辺りにあった競技場で、1923年(大正12年)に第6回極東選手権競技大会が開催されました。ここへ名誉総裁として秩父宮殿下をお呼びしています。この大会の100ヤード走で優勝したのがフィリピンのカタロンという選手です。その時のゴールインの写真が残っていますが、この両手を挙げてゴールテープを切っている姿は、まさしく、あのグリコのゴールインマークそのものです。このポーズは「Y字フィニッシュ」というのですが、当時このポーズでゴールした方が速く走れると言われていて、子どもたちが真似ていたのを見たグリコの江崎社長が、これをマークにしようと決めたということです。
近代水泳発祥は、旧制茨木中学(現 茨木高校)です。1916年(大正5年)、体育教師の杉本 傳(後の大阪水泳協会初代会長)が中心となって生徒と一緒にプール造りをしました。その中には川端康成や大宅壮一もいました。現在、茨木高校には「近代水泳発祥之地」という碑があります。このプールからのべ15人のオリンピック出場選手が生まれ、メダルも獲得しています。 
泳ぎと言えば、日本で最初の水泳場が1902年に浜寺に出来ました。泳ぐためのものは大阪が最初で、海水浴場と同時に開校したのが「浜寺水練学校」です。当初から日本泳法(能島流/のしまりゅう)に取り組んでいたのですが、戦後、アメリカ人のシンクロナイズドスイミング(現アーティスティックスイミング)を見て「我々がやっている古式泳法と似ている」と感じたことがきっかけでシンクロに取り組み始め、アーティスティックスイミング発祥の地と言われています。指導者として有名な井村雅代さんは、浜寺水連学校出身で生野高校から天理大学に進み大阪市の中学校の教師をされていました。中国やイギリスでもコーチをされたのは、日本のシンクロを世界に認めさせるため普及しに行かなければとの思いからだそうです。
高校テニスは、堺市(浜寺から中百舌鳥へ)で試合が行われ、現在碑が残っています。
学生相撲も、堺市大浜から始まっています。
マラソンは、1909年(明治42年)大阪¬-神戸間を走る「マラソン大競争(阪神間20哩[マイル/約32キロ]長距離走)」が毎日新聞主催で開催されました。日本で最初の「マラソン」レースです。そして、3年後のクロスカンツリーレースは、十三から箕面まで走りました。
高校駅伝は、1950年(昭和25年)に第1回大会が開催され、第16回までは大阪で開催されています。
女子バスケットボールも大阪が発祥です。NHKテレビドラマ「あさが来た」にも登場した成瀬仁蔵が、チアリーディングで有名な梅花女学校(現 梅花学園)でバスケットボールの原型である「球籠遊戯」をカリキュラムで採用しています。
1924年、大阪で日本女子オリンピック大会というものが開催されます。陸上、水泳、野球、硬式テニス、バレーボール、バスケットボールが行われました。第1回万国女子オリンピック大会のわずか2年後のことです。
高校スポーツというのは、ほとんど大阪で始まって全国に広まっているのです。

そして、もう一つの特徴は、日本のスポーツ用品メーカーは、ほとんどが関西にあります。
ミズノ、デサント、アシックス、シマノ、モンベル、ダンロップ、スワンズ、TSP、REXXAM、ゼット、SSK、九櫻…。一番売り上げを上げているのが「アシックス」です。次いで自転車の「シマノ」、「ミズノ」、「デサント」、「ダンロップ」と続き、9位に「ゼット」が入ります。売上高10位以内に大阪と神戸の企業が6つ入っています。これには「ミズノ」が大きく関係していると思います。「ミズノ」は1906年(明治39年)に大阪の梅田に水野利八が「水野兄弟商会」を創業したのが始まりです。当時、スポーツ用品というのはオーダーメイドだったのですが、レディメイドにして販売したことと、創業者の水野利八が大の野球好きだったこともあり、野球用品や野球大会をバックアップして、野球に特化したことが企業が大きくなった要因だったと思います。ちなみに、我々は「ワイシャツ(=ホワイトシャツ)」のことを「カッターシャツ」とも言いますが、これは関西だけです。水野利八がスポーツ用シャツの商品名を「“勝った”シャツ」と命名したことが始まりです。

さて、豊中高校の「高校アメフト発祥の地」の碑も茨木高校の「近代水泳発祥之地」の碑も、各校の同窓会が建立しています。住吉高校も記念碑が建立できるものはないかと探してみました。
1948年に(昭和23年)に全国高等学校体育連盟ができ、1963年(昭和38年)インターハイが開催されます。
昭和23年に男子バレーボールが優勝しています。昭和23年~38年漕艇部が優勝しています。これは、他の学校に漕艇部が無かったからのようです。これでは碑ができない…。少しさみしいです(笑)。

高校スポーツの歴史のお話からスポーツ用品まで、大阪や関西圏が大きく関わっていたことを豊富な写真を見せていただきながら楽しく知ることができました。
講演後はケーキとお茶で親睦を深め、“生徒歌”を歌って散会となりました。
次回の講演は6月8日(土)午後1時から、古典中国文学者(漢文学者)、岡山大学名誉教授、日本杜甫学会会長で、昨年発行の同窓会報表紙の漢詩を詠まれた下定雅弘氏(高17期)による「『長恨歌』 ─楊貴妃の魅力と魔力─」と題してお話しいただきます。たくさんのご参加をお待ちしております。


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今回、併設展として、北畠会館2階の会議室において『住吉高校同窓会収蔵 絵画展』を開催しました。
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広報委員会
杉原元美(高36期)